ヨセフの祝福 創世記49章22~26章

今日は、召天者記念礼拝です

ここにある、納骨堂も、まさに主の時に立てられていました

建った、すぐあとに教会の裏に家が建ったンです

そのあとで、許可は降りなかったと思います

わたしは、納骨が一杯になるより、この会衆席が一杯になること望んでいますけどね

この地域に根ざし、用いられたらと願います

アメリカでは、なくなったとき、ゴーイングホームと言います

天に帰ったって言うんです

もちろん

悲しみはあります、別れですから

(納骨名が読み上げられたとき

 そのほとんどの方が、いつも元気に礼拝に出られている方方なのを見

 すばらしいことだなと思いました)

「ヨセフの祝福」

 

創世記49-22~26

これはヨセフが祝福されたところです

みなさんも

同じように祝福を与える側になれるんですよ

世の人は

なぜ?や、どうして?と、苦しみが多く、傷ついています

その人に

祝福の言葉をかけて欲しいんです

それは

(その言葉を)主に託して、伝えることなんです

さて

ヨセフは、どうでしたでしょう

この祝福は、ヤコブの遺言です

父から子への言葉です

いいですね

こういうの言ってみたいんですね~~

(キーになることばを、いくつか見ていきましょう)

あなたは、実を結ぶと

こう、言ってみたいですね

あなたも、そう言ってあげれますか

(そう、主に託し、信じることが出来ますか、言えますか?)

また

あなたは、いずみのそばの若木だと

どんなことあっても

倒れないと

いろいろあっても立ち続けると

このエバーも

詩篇1篇からつけられています

同じ意味なんですね

さらに

その枝は、垣根を越えると

(敷地意識の強い日本では、迷惑なことと見られたりしますが

 祝福が、あふれ、超えてゆくという、繁栄の意味を聖書では、持っています)

そのように、周りに影響をあたえてゆく

これね

あなたの家族だけに限定しないでくださいね

垣根を越えてゆくんです

必要な人に、及んでいってほしいんです

ある人は、わたしは電話しかできないですからと

病気の方のところに電話してくださっています

それで、いいんです

そして

弓をいるものと

弓がいられると

問題はあるよと

でも、その中で、あなたは先に救われたんですね

先に、ヨセフのように選ばれたんです

そして

(問題や、戦いはありますが)

弓をいられたけど、たおれたことはなかったと

問題だらけのヨセフ

その怒り、傷はどうしたんでしょうか

あったとおもいますよ

でも

それを、主に託すことが出来たんです

(さきほど

子供にこう言えたらいいなといいましたが)

わたしは

このヨセフのように、ヤコブのように

(祝福を)語れるものになりたいです

岩なる神に

主によって,ささえられ、(ヨセフのように)変えられたいんです

主の岩は

覆ってくださり、影に引き寄せてくださいます

大変なときにこそ、岩が必要なんです

わたしも祝福を

残せたらなと願っています

それは

前に向かうための言葉なんです

それは

それまでのことを、受け止めているから言えるんですね

だから

今日の礼拝の意味があるんじゃないでしょうか

今、生きるは

岩なる牧舎によるんですね